飯塚俊幸
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飯塚俊幸

障害者雇用率100%の会社を立ち上げたい

公開終了
ご挨拶

ここでは私のことを紹介させてください。

名前は飯塚俊幸(とっしー)と申します。私は群馬県館林市の出身で農家に生まれ育ちました。

そして、私は生まれつき先天性難聴という聴覚の障がいを持っています。

普段は補聴器を外し、雑念がほとんど入らない静寂な世界にいます。一方で、本当に大切な声を拾いたい時、補聴器をつけて、耳を傾けて聴きます。

だから私は「超高性能ノイズキャンセリングを生まれ持っている」と自称しています(笑)

聴覚障がいを持つとっしーの中学、高校時代

↓↓文章でも解説しています↓↓

私は中学生の頃、自分の障がいを否定的に捉えていたので、周りの友人に差別をされたくないという思いで必死でした。そのため、本当の自分を見せることができずに自分の殻に閉じこもっていた私はとても苦しかったです。しかし、ひとりの尊敬する友人との出会いにより、私は少しずつ変化していきます。その友人は誰に対しても分け隔てなく接する人で、クラスの人気者でした。彼は私に障がいがないかのように、いつも気軽に話しかけて、聞き取れない私にいつも嫌な顔をせずに何度も同じことを言ってくれました。彼は、私の心を開き、私らしさを引き出してくれたヒーローのような存在だったのです。

私は高校に入学して、その友人のようなヒーローになりたくて、クラスの人全員に積極的に話しかけました。当然、話が聞こえないこともあるので、聞き返します。次第に「もう一度言ってください」と言うのが面倒になって、「なんて言ったの?」を略して、「なんて!?」と言うようになりました。するとこれがお笑いのツッコミのようになり、一発ギャグとしてクラスのみんなに受け入れてもらえ、いつしか”ヒーロー”に近づいていたのです。

この経験を通して、勇気を持って障がいを個性としてさらけ出して発信したことで、お互いに信頼関係を構築できたのだと思っています。誰もが当たり前に弱さを持っているのだから、自分、そして相手に対しても、弱さは個性であると受け入れてもらえたことに気づきました。

「生きづらさ」が蔓延する社会への問題意識を持つ

私は大学へ進学し、アルバイトを通した社会への進出によって、大きなことに気づかされました。アルバイト先の一つで、聞こえにくさによってコミュニケーションが上手く取れず、失敗ばかりしてしまう職場がありました。そのアルバイト先の上司から、こう言われます。

「お前は考え方が甘すぎる!お前は障がいを持っているのだから、できないなら他の人よりも努力をするべきだ。そうしないと社会人になっても会社をクビになる。」

当時の私は失敗ばかりしていて、結果が出ていなかった上、職場の人たちからの同調圧力をかけられて何も言い返せませんでした。

「どうして、障がいを持っているから努力しなければならないのか。それは障がいをハンデであると決めつけているのではないのか。」

障がい者という烙印を押されてしまったと自分の中にのしかかりました。それを言うことができずに、バイト先から帰ってきて、家で大泣きしたことをよく覚えています。

この経験から、私は「こうあるべき」という固定概念や、本当の自分や感情を表に出すことが許されない社会的抑圧があることに気付きました。

自分らしく生きていたくても、それを許さない社会が原因で「生きづらさ」が蔓延している社会の問題を感じて、私はこの大きな社会問題に立ち向かうことを決めました。

障がいという名前のレッテルを武器に変えるということ。

では、どうやって大きな社会問題に立ち向かうのか。その時、思い浮かんだのは、法律上、私に貼られている「障がい者」というレッテルでした。

私は障がいを否定的に捉えていた中学時代、“生きづらさ“を抱えていました。しかし、障がいというレッテルを表に出して、受け入れることができたから、私は普通でも特別でもなく、「私」でいいんだ、と気付くことができました。

だから私は、レッテルを貼られていても、それを剥がして“その人らしさ“認め合うことで価値が生まれることの根拠を示すために、同じレッテルを貼られている自分がそれを証明することができると仮説を持ちます。

そう思った大学生の私は障がい者支援の会社に就職、様々な職域で自らの才能を生かす障がいのある社員に出会いました。そこで私が見たのは、自らの感性や個性を生かして絵を描き、それが仕事として価値を生み出す働き方の現場でした。また、私自身も聴覚障がいを持っているからこそ、幼少期から相手の声ではなく、細かい口の動き、顔の表情を読み取りながらコミュニケーションを取ってきました。これは、社会人となり、営業をするようになっても、商談先で”声によるコミュニケーション”ではなく、むしろ相手の細かい表情を読み取るようなコミュニケーションで相手と会話をすることにより、声には現れないような細かい気遣いを行うことで営業の仕事を全うすることができました。

この経験を通して私は、障がいという名前の弱さを持ちながらも、それを個性と認め、弱さを強みに変えて発揮することで、大きな価値が生まれることを確信します。

「弱さも個性と捉え、その個性を最大限に発揮することが社会に価値を生み出すことができることを証明したい。」

これが私の提案する弱さを強みに変えることで“生きづらさ“を解消するひとつの方法であると考えました。

とっしーが起業を決意した理由とベーシックインカムについて

しかし、私が思い描く方法で、お互いに個性を認め合うことの大切さを伝えるためには、私一人の小さな声では、社会全体に届けることができません。私一人ではなく、会社という組織を設立し、その会社の中で、社員全員が各々の個性を生かして、補完し合いながら価値を生み出す組織を作ることができれば、大きな声として社会に発信できるのではないか。

だから私は独立して、障がい者雇用率を100%にした会社を立ち上げたい!と思い立ったのです。

しかし、ここで「お金」という大きな壁に立ち塞がりました。

自分の最低限の生活を維持するためには、収入を得るための時間が必要です。もっと経済的なサポートがあれば、、、と思っていた時、「月10万円のベーシックインカムを受給している人間のドキュメンタリー映画を撮る」というプログラムを見つけ、すぐに応募しました。

結果、受給者候補として無事に選んで頂くことができ、このクラウドファンディングが成功すれば、私は4か月間、株式会社BasicIncomeより毎月10万円を受け取りながら、自分の夢の実現のため日々活動することができます。

また、この映画の視聴権はリターンにてご用意しておりますので、ぜひ私のチャレンジの行く先を見届けていただけたらと思います。

※株式会社BasicIncomeについては最後に代表の池内さんから説明しています。

障がい者雇用率100%の会社設立を通して実現したいこと

改めてになりますが、私の夢は、誰もが一人ひとり違う人間であること、みんながお互いに「個性」を持ち、それを強みとして発揮することで社会に大きな価値を生み出すことができるということを、障がい者である私が「障がい者雇用率100%」の会社を設立することで社会に発信することです。

そして、個性の尊重によって生まれる価値を証明し、誰もがお互い個性を認めて、自分らしく生きることのできる社会を実現に向けて全力で取り組んでいきます。

事業として、私は「農業」をやりたいと思っています。

理由は2つあります。

一つめは、農業は高齢化による担い手不足、耕作放棄地の増加などの大きな社会問題を抱える一方、第一次産業として必要不可欠な産業であり、社会貢献とビジネスが両立できる産業と考えるためです。

二つめは、農福連携の取り組みが注目されているとともに、スマート農業導入などによるIT化の発展によって、将来的に障がい者の積極的な活躍が期待されると見込んでいるからです。

そして、現在、全力で農業に取り組むため、埼玉県本庄市の地域の方々とご縁をいただき、少しずつ農業にコミットしています。

お話を伺った本庄市内の農家さんとの写真

さいごに

長くなりましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。私はとてつもなく大きく、無謀な夢に向かって真っ直ぐに突き進んでいきます。でも、この瞬間、この文章を読んでいるあなたと繋がって、あなたの応援の気持ちが必ず私の夢を現実につなげてくれると信じています。まずは、会社設立に向けて、がむしゃらに頑張る4ヶ月間を見届けてください。