売れっ子役者になりたい
はじめまして。
23歳、役者、奥泉です。
私は現在、小劇場を中心に役者活動をしています。
一旦、話は変わりまして。
小林賢太郎という劇作家/演出家/パフォーマーがいます。元々はコントユニット・ラーメンズの1人として知られていた人物です。
私は彼に憧れて役者を始めたのですが、当の彼はつい最近、肩書きから「パフォーマー」を外したとの発表をしていました。
そのとき思ったのです。
「あ、まだ接触していなかったのに。」
そして、それが目標だったことに気付きました。
目の前の現場とギリギリの生活に追われていて、どこを目指して活動していくべきなのか見失いかけていた矢先のことです。
幸い、彼は作り手を辞めるわけではないようなので安心しているのですが、ふと足元を見下ろしてみると、今自分のいる地点から彼のいる地点まで何年かかるんだと、急激に焦りを抱き始めています。
次は作り手からの引退を発表するかもしれない。グズグズはしていられない。
そこで新規まきなおしです。
私は、ここに新たな目標を立てます。
「一年後に、小林賢太郎作品への出演を決める。」
いやいやいやいや......恐れ多いな!
自分で引くほど大それたことを言ってしまいました。
しかし!!!
それくらいの意気込みがなくてどうするんだと!
私の中の熱血担当大臣が声を大にしてそう言ってくるわけです。
こういうのってのは宣言することに意味があるのだと。宣言しちゃえば努力せざるを得ないだろと。努力の方法もちゃんと考えるようになるだろと。
そんなわけで!
改めて私は、小林賢太郎に近づくために一年間クソほど役者修行をしようと思っております。
今回は、そんな私のドキュメンタリー映画を製作するという取組みを通じて、私の目標の支援者を募集したく、クラウドファンディングを立ち上げさせていただきました。
さて、そもそもお前は誰なんだ、という問いに私は答える義務があります。改めて自己紹介させてください。
・「役者」になるまで
早稲田大学に入学して2年目、私はいわゆる普通の文系大学生でした。授業をサボり、昼から酒を飲み、麻雀卓を囲み、朝まで酒を飲んでいました。
楽しかったです。その時を一緒に過ごした友達とは今でもしっかり仲が良く、たまに終電まで酒を飲んだりします。
ただ、なにか引っかかっていました。
たまらなく溜まってました。
熱が、内臓に息を潜めていて、外に飛び出す瞬間を窺っている......そんな感じでした。
「どうにかしてこれを発散したい!」
しかし当時の私に「何かになる」という発想はありませんでした。
私が当時から好きなもの、それはマンガとお笑いです。もちろんラーメンズも高校生の時から好きです。
だから最初はコント師になりたいかもなぁとぼんやり考えていたりもしたのですが、ある日、大学の後輩女子から演劇サークルの公演のチケットを売りつけられまして、それが全ての始まりです。
2017年、大学3年の春、私はまんまと早稲田大学演劇研究会に入会いたしまして、そこで残りの人生を「役者」として過ごそうと決意しました。
この決意にあたり、もちろんありとあらゆる要素があったのですが、それでも半分以上はラーメンズの影響だと確実に言えます。
そこから4年間、私は演劇と向き合うことになります。
・なぜ小林賢太郎にこだわるのか
もちろん、ラーメンズという存在が自分にとって最初の衝撃だったからって理由は大きいです。ただし思春期に出逢ってしまったものって、その後の価値観にしっかり影響を与えてしまうものですよね。
私の思う美しいものは、ラーメンズそのものです。
最小限の手段から最大量の情報を。
これに尽きます。
わりとラーメンズは脚本や演技に目が向けられがちですが、私は演出が素晴らしいと常々思います。真っ黒の素舞台に真っ黒な衣装。小道具はほとんど使用せず、照明音響の変化もとっておきの時だけ。
そして役者演出。
上記のようなことが達成できるのは執拗なまでの身体への探求に他ならず、それを他人にまで適用できるのは、小林賢太郎自身が身体への研究を怠らず常に学習者であるからであるのだろうと、勝手に想像しております。
さらに小林賢太郎自身の、自分の手で完全に演出された演技も役者としてはシビれざるを得ません。
もちろん演出家として偉大な方々は他にもたくさん居ますし、その方々の演出も受けてみたいです。
それでもやはり、どうしても、人生に影響を与えた大元が現場に立っているうちに、いま、その場所を本気で目指さないと一生後悔するなと思っています。