パリオリンピックを目指したい
東京オリンピックを目指した学生レスラーが怪我や就職という壁を乗り越え、パリオリンピックを目指す物語
はじめまして、レスリングをしています。
梅林太朗と申します。1998年4月3日大分生まれ、千葉育ちです。3歳からレスリングを始め、日本一に通算18度なりました。
《主な実績》
U17世界選手権3位
U20アジア選手権3位
インターハイ2連覇
国体優勝
全日本社会人選手権優勝
全日本選手権3位
中学、高校時代にオリンピック強化選手として、JOCエリートアカデミーに入校して以来、2020東京オリンピックを目指し活動していました。大学2年冬に前十字靭帯断裂(全治約一年)をし手術したため、2020東京オリンピック選考会を辞退。大学を卒業を機に引退して就職をするか競技を続ける環境に身を置くか葛藤。
20年以上続けてきた大好きなレスリングを怪我を理由に夢半ば諦めて引退して良いのか。それで後悔はないのか。現役を続行するのあれば支援してくれる企業はあるのか。様々な壁にぶち当たる毎日でした。
大学3年冬にゼミ合宿で訪れたシアトル・ワシントン大学で私に転機が訪れました。ワシントン大学には、レスリングのサークルがあり、私はレスリングシューズ片手に練習に乗り込んだのです。はじめは、英語もあまり話すことができず、なんだこの東洋人という冷たい目で見られました。しかしながら、レスリングの練習に入るとサークル生は私を囲み「今日はお前に技術を教えてもらったら、今日の練習は終わる!」と態度が一変しました。拙い英語で彼らに私の技術を伝えました。その時、『私がやりたかったのはこれだ!』と確信しました。
日本に帰国してからの私は、自己PRと一緒に将来のビジョンを資料にまとめ企業に自らを営業しました。日本では、大学を卒業後(一部の実業団を除く)に大半が出身大学を拠点に活動を続けています。日本では珍しい海外を活動拠点に入れるレスラーに憧れを持ちました。
『海外で練習をしながら、パリオリンピックを目指す。』これが私の原動力になりました。運良く地元企業と出会い、現在も夢を追いかけています。社会人になってからは、レスリングの強豪国であるアメリカとロシアへ単身で武者修行へ行くことができました。遠征では、レスリング以外でも得られる経験は数えきれないほどありました。
最近では、現役学生から競技を続けるための就活についての相談を受けることも増え嬉しく思います!