世古口敦嗣
#sekoguchi

世古口敦嗣

障害のない社会を描きたい

撮影中

「誰かがこういうことをやりたい。でも自分の努力だけじゃなんともできない」ことに自分の使命を感じ、それを実現していこうと動き、1人ひとりのやりたいことやできることをキャッチし、それらを形にする機会を提供しています。


こんにちは、世古口敦嗣です。2019年4月、京都府京田辺市に三休という障害施設をつくりました。

三休とは一般就労を目指す障害のある人たちの就労に向けた訓練をするところです。

面接の練習をしたり履歴書を添削したりなどの座学ではなく、障害のある人たちと一緒に農業をするなかで障害のある人たちの「こうなりたい」「あれがしたい」という思いを実現できるようサポートをすると同時に彼らと一緒に農業ビジネスを行うことで彼らの給料を高くしていくために日々働いています。3つの畑で作物を育て上げ、JAや道の駅、飲食店に販売するだけでなく、自分たちで育てたハーブでつくったハーブティーやビールの製造、カフェの運営などをしており、その1つひとつの工程に約30名の障害のある人たちが関わっています。


これが僕たちが捉える就労訓練です。このような事業をしたいと思ったのは1人の男性との出来事でした。彼はアスペルガー障害を持ちながら正社員として清掃の仕事をしていました。彼と遊びに行くと、彼はいつでも好きなものを食べ、好きな場所に行き、好きな本を買っていました。でも、ある日、好きなものを制限するようになりました。彼の障害特性が原因で上司とトラブルになり仕事を退職、自信をなくし誰とも会いたくなくなり、引きこもりの生活に。

・・・彼から仕事がなくなった途端、別人のように生きる気力がなくなったことがショックでした。そんな彼と久しぶりに遊んだとき、「世古口くん、先日お父さんの誕生日やってん。いつもは鰻をご馳走し、誕生日プレゼントをあげてたんやけど、今年は何もできてへん。悔しい。僕でも働ける場所ってあるのかな」と伝えてくれました。その言葉がリフレインし「障害のある人たちの就労支援をしたい!」と三休をスタートしました。


このように人生のターニングポイントは「自分」がきっかけではなく「誰か」がきっかけになることが多いです。障害福祉で働くきっかけは、車椅子を自分で運転する脳性麻痺のおっちゃん。彼はヘルパーを利用しながら地域でひとり暮らしをしており、自分が好きなように生活を送っており、楽しそうな人生を歩んでいました。

でも、この生活には様々な障壁があります。ヘルパーを雇うのに国費ですべて賄うことができず自費が発生していることや飲みに行くことや旅行に行くこともできませんでした。そんなおかしさに異を唱え、制度の仕組みを変えていきたい。そして、彼らが暮らしやすい社会をつくりたいと障害福祉の世界で働き続けることに決めました。

ヘルパーが使えず親がずっと送迎をしていた脳性麻痺の大学生は友だちと遊ぶときも好きな人とデートするときも親が一緒に同行していました。彼が「音楽ライブに行きたい」と言ったことがきっかけで、バリアとさよならする音楽イベント「BYE MY BARRIER」を開催しました。自分の生きてきた歴史を残したいという脳性麻痺のおっちゃんがいたら、彼の生き様を取材し、それを歌にするプロジェクトを行いました。

ぼくはいつでも「誰かがこういうことをやりたい。でも自分の努力だけじゃなんともできない」ことに自分の使命を感じ、それを実現していこうと動くモチベーションになっています。いま運営している三休でも、そこで働く1人ひとりのやりたいことやできることをキャッチし、それらを形にする機会を提供しています。「障害があっても、やりたいことを諦めない。そして挑戦できる機会をつくる」ことがぼくのミッションで、そういう意味でいえば「障害のない社会を描く」ことがビジョンなのだと最近定まってきました。

2019年に三休がスタートし、それなりに成長を続けていくことができています。それとは裏腹に2018年、2019年と毎年開催していたBYE MY BARRIERはストップしてしまいました。三休に集中したい姿勢のあらわれ、そして、コロナが流行したためです。「BYE MY BARRIERまたしないの?」「BYE MY BARRIERって楽しいって聞いたんだけど」と聞かれることがちらほらあり、この度、BYE MY BARRIERを再演したい気持ちが強くなりました。