トップ俳優になりたい
初めまして、早稲田大学文学部三年の篠塚康介です。幸運なことにベーシックインカム受給者の一人目に選んでいただきました。
まず篠塚康介とは何者なのかというのを紹介しようと思います。
僕の書いているブログが六月の半ばに卑猥だと大学通報されたことでツイートがバズり、そして週刊ポストに取材されライブドアニュースに載りました。
東京大学に落ちた僕は早稲田に入学し、普通の大学生と変わらない生活を送っていました。
つまりサークルに入って適当に飲み会をして適当に授業をサボってアルバイトで稼いだお金でピンサロに行く日々を送っていました。
なんとなく楽しい日々を送っていましたが、それは少し退屈なものでもありました。
童貞を卒業しようとして12万円失ったあの日、僕は強くなることを決めた
忘れもしません、2018年6月8日金曜日。
僕がどん底に落ちた日です。僕はついに童貞を卒業しようと決意し、いつもピンクサロンでお世話になっていた池袋に向かいました。
そこで僕はキャッチのお兄さんにAV女優のみうらさくらさんとヤレると騙されて、最終的には12万円ぼったくられました。
アメジストホテルで僕はずっとさくらさんを待っていましたが、現れたのは中国人のおばさんでした。
そうして僕は義務教育の失敗作となったのです。
僕はあの夜悔しくてたまりませんでした。。自分が情けなくてどうしようもありませんでした。
翌日、オブラートに包み親にぼったくられたことを話すと、「生きて帰ってきてくれただけでよかった」と言い親は僕に10万円をくれました。その時僕は人生で一番泣きました。
(これ以来泣き顔を自撮りするという謎の習慣ができました)
思えば大学生活は流されてばかりでした。小学生の頃から大学に入るまでずっと続けていたブログも気がついたら一切書くことがなくなり、僕はどんどん思考することと言語化することから逃げていました。
その結果僕はありえないキャッチに引っかかったのです。
そして決心しました。僕は強くなると。
この生きにくい世の中をたくましく生きていくために僕は強くなるしかありませんでした。
それからは僕は生まれ変わったかのように必死に、本気に生きました。
何もかもを疑うようになり、今正しいとされているものが果たして本当に正しいのか、今間違っているものが果たして本当に間違っているのか全てを自分の頭で考え始めました。
もう一度ブログを書こうと決心した夏の一人旅
大学2年の夏休み、僕は大ザックを背負って一人旅に出ました。
特に目的地も決めず適当に日本のいたるところに行きました。
そしていろんなところを一人で歩き、夜は安いゲストハウスに泊まりいろんな人と語りました。
一人旅の後半、僕は地元の流山に帰りヒッチハイクで陸前高田に向かいました。
(スケッチブックに書いてありますがこの頃あたりから口癖でずっと’強くなりたい’と言っていました)
ヒッチハイクの途中でNPO法人の人たちに出会い、僕たちは石巻に行きました。
そしてたこ焼きパーティーを手伝うことになったのですが、そこで石巻の元気な子供達とババ抜きをして罰ゲームで僕は陸前高田の奇跡の一本松から流山まで歩いて帰ることになりました。
朝も昼も夜も関係なく歩ける時に僕はひたすらに歩きました。
途中でSNSも全て消し、僕はずっと自己対話を繰り広げました。
俺はどうなりたいんだろう、俺はどうすればいいんだろう……
そして決めました。
僕の強くなる物語を書くと。
当時サンボマスターをずっと聞きながら歩いていた僕はブログのタイトルを「できっこないをやらなくちゃ」にしました。自分が今まで挑戦しなかったことに日々挑戦していけば僕は強くなれるだろう、そう思いました。
そして無事地元まで440キロ歩ききった僕はブログを始め、よりたくさんのことに挑戦するようになります。
くだらないことを本気でやる楽しさを知る
ブログのネタを作るためになんでも思いついたアイデアをすぐ実行しました。
夜中の高尾山を登ってみたり、
バナナのコスプレをして大学のキャンパスでバナナを配ったり、
牛乳で飲み会をやったりしました。
バカに付き合ってくれるバカな友人がたくさんできました。
そんなバカに支えられて僕はだんだん他人の目を気にしないで自分の生き方ができるようになっていきました。
12万円ぼったくられてから自分は1回死んだものだと思って生きることができるようになりました。
他の人の視線を気にして生きるのをやめ、本気で生きるようになったのです。
風俗ブログを書くことになった那覇の最安デリヘル「人妻パラダイス」
今でこそ風俗ブロガーとしてたくさんの人に知ってもらえていますが実は風俗の記事を書き始めたのは割と最近のことです。
今年の一月、「寒いから暖かいところに行こう」というノリで沖縄に友人たちと行きました。
最安のデリヘルに行ってそれをブログに書こう!と行って友達と那覇の「人妻パラダイス」というホテル込みで8000円のデリヘルを利用しました。
最初はブログのネタとして風俗を書いたのですが、ここから自分でもおかしいくらいに風俗にはまっていきました。そしてエロに没頭することになります。
自分がバイセクシャルであることに気がつく
二月の終わり台湾に行った時のことです。遊園地からの帰りのバスで僕は台湾人に痴漢に遭いました。
そのときにふと、中学生の頃男友達と一緒にマスターベーションをしていたことを思い出しました。
初めてのマスターベーションは中学三年生の頃、友達の部屋で一つのアダルトビデオを見ながら五人でするというものでした。
中学生のころ僕は彼女がいましたが、男の子も好きでした。
いつもマスターベーションをするときは友達と一緒でした。僕たちはそれが変だということに気がついていなかったのです。
高校に入ってそれを話すとドンびかれました。
それ以来僕は男性と一緒にマスターベーションをすることはなくなり、それを黒歴史として処理していました。
しかし台湾の痴漢で僕はやはり性的にはバイセクシャルなのだということに気が付きました。
エロと性の追求、それが僕の生きがい
ブログでエロを発信しているうちに僕は本当に心の底からエロが好きだということに気がつきました。
どんなものを書くよりもエロを書いている時が楽しいのです。
どんなことを考えているよりエロのことを考えている時が楽しいのです。心が生きるのです。
最初は半分ネタでやっていたエロに対して僕はだんだんと真剣になっていきました。
大学に入ってから打ち込むものがなかった僕にやっと”エロ”という生きがいが見つかりました。
大学に入ってからなんとなくの日々を送っていた僕にとって”エロ”は最後の希望でした。
エロを追求するならAV男優になるしかない
風俗ブログを書いているだけではエロを追求できません。
僕は自分の身体で死ぬまでエロを追求したい、ならばそれを仕事にするしかない、そう思うようになりました。
それと同時にエロに悩んでいる人を救いたいと思うようになりました。
僕はたくさん性とエロに悩んできました。
僕がしみけんさんや森林原人さんのような影響力を持ったAV男優になることができれば、性に悩んでる人を救えます。
僕は言語化が得意です。大好きなエロを自分自身が追求してそれを言語化していきたいのです。
▼AV男優になって、どういう形であれ母さんを幸せにしたい
AV男優になることで親が悲しむことはわかっています。
特に母さんは中国の人で、日本にきてからは周りにばかにされたり、他の親ともなじめず相当苦労していました。そんなときに僕のことをいつも生きがいと言っていました。。
小学生の頃から、さえない自分と仲良くしてくれる友人のこともすごく大切にしてくれた母親は僕にとって本当に大切な存在です。
自分のことを第一に考えてくれていた優しい母さんが大好きだし、そんな母さんを泣かせてまで、自分の好きなことを追求することは果たして本当に正しいのか悩んだ時期もありました。
でも、だからと言って自分がやりたいことも諦めきれませんでした。
やりたいことも見つからない退屈な人生から自分を救ってくれたのはエロでした。
エロを追求することが生きがいになり、僕は何としてもAV男優になりたくなってしまったのです。
エロが原動力になり、エロ以外ではまた流されてばかりだった昔の自分に戻ってしまうという恐怖があります。
あの12万ぼったくられた日から僕は生まれ変わって自分で人生を決めるようになりました。
そしてこれからも自分で人生を決めていきます。
時代とか環境とか周りとかそういうのは関係ないです。全部自分次第です。
だから好きなことをしてもいいし、しなくてもいい。人それぞれ幸せの価値が違うからこそ僕はブレたくないんです。
自分の意志を強く持って、努力して自分の道を切り開いて、自分の生き方を追求して自分の名前でAV男優になり、そして、最後には必ずどういった形であれ母さんを幸せにしたいんです。